高知簡易裁判所 昭和41年(ろ)66号 判決 1967年9月29日
被告人 黄英信
主文
被告人は無罪。
理由
第一、公訴事実
本件公訴事実は、「被告人は、第一、朝鮮人で外国人登録証明書の交付を受けている者であるところ、昭和四〇年九月二二日午後一一時五〇分ころ、高知市本町二七番地先路上において、その登録証明書を携帯していなかつた。第二、陳与市と共謀のうえ、法定の除外事由がないのに高知県知事の許可を受けないで、同日午後一一時四〇分ころ、同市帯屋町高知警察署前附近において、四国電力株式会社高知支店長乾正雄管理にかかる電柱に、みだりに『南朝鮮人民の正義の闘争を支持支援しましよう』などと記載した屋外広告物たるビラ約八枚を貼付した。」とするものである。
第二、無罪理由
先ず、公訴事実第一の点について
被告人が外国人登録証明書を受有する朝鮮人であり、公訴事実に示された日時場所において右証明書を携帯していなかつたことは、被告人の当公判廷における供述その他の証拠によつて明らかである。検察官は右不携帯について被告人の故意を主張するがこれを認めるに足る証拠はない。すなわち、被告人の当公判廷における供述、その司法警察員に対する供述調書(二通)、証人楠瀬孝同陳与市の当公判廷における供述・以上の証拠によると、被告人が当夜ビラはりのため小山方より外出するにあたり着衣を替えたこと、警察官より証明書の呈示を求められた際被告人が制服の警察官に対し身分証明を要求するなどその憤激をまねく態度にでていること(この場合警察官は請求あれば身分証票を呈示することが義務づけられており、法の建前上はこれに憤激する理由はないが、制服警官に対し右要求がなされることは実際上恐らく異例のことであろう)、而して若干の押し問答のすえ被告人が自己の着衣のポケツトを捜し求めていること、その結果被告人は陳与市に小山方で着替えたズボンの中にある旨を告げてその持参を求め、陳は直ちに小山方に帰宅し被告人のズボンより証明書を取出しこれを被告人の引致された高知警察署に持参していること、当夜被告人と同行した陳与市は自己の登録証明書を携帯していたこと、それらの事実が認められるのであつて、右状況から推して、当夜被告人が何らか意図するところがあつて故ら証明書を携帯しなかつたもの、ないし不携帯の認識があつたものとは考えられず、本件は被告人が外出前着替えの際証明書携帯の確認を失念した過失によるものと認められる。
而して、外国人登録法一八条一項七号の登録証明書を携帯しない者とは、故意にこれを携帯しないものばかりでなく過失により携帯しないものをも含む趣旨と解すべきところ(昭和二八年三月五日最高裁判所第一小法廷決定・刑集七巻三号五〇六頁、昭和四〇年一月二九日東京高等裁判所第一一刑事部判決・下刑集七巻一号三六頁)、被告人および証人陳与市同楠瀬孝の当公判廷における供述を総合すると、被告人が当夜中島町四八の小山方を出て以後のコースは、右小山方より公園通りを本町電車通りに出、右電車通りを西進して、県庁通りを北折し帯屋町県庁前に至り、同所より帯屋町を東進し職業安定所前警察署前を経て四国銀行帯屋町支店角を右折南進し、主婦の店西側において楠瀬巡査の職務質問を受けたのち再び南進して本町電車通りに出、これを西進して高知郵便局前において楠瀬巡査外三名の警察官より登録証明書の提示を求められるまでの区間であることが認められ、右区間においては、被告人の住居である小山方まで、最も離れた位置においても、遅くも徒歩五・六分の位置関係にあることが推認され、さらに、被告人が高知郵便局前において登録証明書不携帯の事実が判明し警察官に逮捕され高知署に引致される一方、前示のとおり陳与市は小山方に帰宅し被告人のズボンより同人の登録証明書を取出しこれを高知署に持参したのであるが、その間の所要時間は「一〇分もかからん内」であることが認められるのであつて、それらの点から「外国人の居住関係及び身分関係を明確ならしめもつて在留外国人の公正な管理に資する」とする外国人登録法の立法目的に照らして被告人の本件不携帯の行為をみると、これにより生じた実害といえば被告人の居住身分関係の確認が僅々一〇分以内の間遅くれたというに過ぎないのであつて(仮に当夜の被告人のコースの他の位置において呈示が求められた場合においても大差ないであろう)、他方右不携帯が被告人の過失によるものであることを考え合わすと、その実質的違法性は極めて軽微なものということができ、被告人の行為は法の予定する可罰性を有しないものと認めるのが相当である。
次に、公訴事実第二の点について
証人楠瀬孝の当公判廷における供述・被告人の司法警察員乾秀於に対する供述調書・被告人の当公判廷における供述中「帯屋町幹一六号」電柱にビラ一枚を貼付した旨の供述部分・証人陳与市の当公判廷における供述中公訴事実の日時ころ被告人とともに福祉会館前および高知警察署前の電柱にビラを貼布した旨の供述部分・細川春行、坪内増広両名作成の写真撮影報告書・乾秀於作成の実況見分調書・高知土木事務所長の回答書・谷内武雄の司法巡査に対する供述調書・以上の証拠を総合すると、被告人は高知県知事の許可を受けずかつ管理者の承諾を得ないで、陳与市と共同して、公訴事実の日時ころ、「朝鮮の平和的統一をはばむ韓日条約に反対しましよう」など韓日条約反対の趣旨の文言を印刷した、韓日条約反対在日朝鮮人闘争委員会名義のビラを、四国電力株式会社高知支店長の管理する同会社所有の、高知市帯屋可高知公共職業安定所前所在「帯屋町幹一六号」電柱に一枚、同高知警察署前所在「帯屋町幹一四号」電柱に三枚、合計四枚を貼付した事実が認められる。(検察官は、帯屋町幹一六号電柱に貼付したビラは少なくとも三枚で、なお帯屋町幹一一号電柱にも二・三枚同種のビラを貼付した旨主張するが、本件証拠をもつては未だこれを確認するに十分でない)
ところで、家屋その他の工作物にはり札をする行為は工作物の汚損行為で一般にその工作物の所有者にとつて迷惑を感じさせることがらであり、また、街路筋の工作物に雑然とはり札された光景が街の美観風致を損うものであることはいうまでもなく、軽犯罪法および高知県屋外広告物取締条例によるはり札行為の規制は、前者は私益保護の立場から当該工作物の美観(本然の外観)を、後者は社会公共の利益の立場から地域の美観風致を、その保護法益とするものと解せられるところ、当時高知市内においては、本件ビラはりの行われた帯屋町筋はじめいたるところの電柱に各種のビラ・ポスターの類が雑多に貼付されていたこと、これらはいずれも正規の許可を得たものではないこと、これに対し所管土木事務所の見るべき取締処置もとられず、(その後昭和四二年二月にいたり当局の除却処分が実施されるにいたつたが、それまではほとんどそのような処分は行われず事実上放置されていた)いわば野放しの状態にあつたことが、証人岩崎健男の当公判廷における供述および前記細川坪内の報告書中の写真丸山嘉兵衛撮影の写真によつて認められる。もとよりそのような状態にあつたからといつて、高知市内における無許可無承諾のはり札行為が当然に正当性をもつわけのものではなく、その違法であることにかわりないが、右行為の違法性の評価にあたつては当該社会状況との関連においてこれをみるべきであろう。そこで、右のような市内各所の電柱に雑多なビラ類が貼付され、本件現楊である帯屋町筋においても、条例の期待する街の美観風致は、已に、かなり損われていたと認められる当時の状況下においてなされた被告人らの前示はり札行為をみる場合、これにより地域の美観風致の損傷に加うるところは極めて軽微なものと認むべく、また所有者側における迷惑感の程度も、それが住宅・事務所等の場合とは一般に美観についての関心の度合いを著しく異にするとみられる本件対象物-電柱-の性格から考え、ほとんどいうに足りないものと認められ、一方、ビラの内容は前記のとおり一つの政治的意見を表明しこれを世人に訴える趣旨のものであり、また、形状色彩・貼付態様等においても特に醜悪異常の廉も認められないのであつて、被告人らの本件行為は、それぞれの立法目的からこれを実質的にみて、屋外広告物取締条例および軽犯罪法において可罰対象とする程度の違法性を有しないものと認めるのを相当と考える。
(なお、弁護人は被告人の貼付したビラが「南朝鮮青年のベトナム派兵に反対しよう」というものであるとし、被告人の行為は戦争政策に反対し人民の自由と利益を守るための正義の行動であり、憲法の保障する表現の自由の権利を行使したものであつて、社会通念上不当視されるものはなく、「みだりに」なされたものには該当しない、旨主張するところ、当裁判所の認定する被告人貼付のビラは前示のとおりであり弁護人主張の如きものでないことはそれとして、仮に、被告人らの意図が右のようなものであつたとしても、それは他の環境事情とともに行為の違法性評価の一資料たるに止まり、その一事をもつて、他人の工作物に対する無承諾のはり札行為のすべてが、表現の自由の名の下に市民の当然の権利として正当視されるものとは解されず、弁護人の右主張は採用し難い。)
以上のとおりで、本件公訴事実はいずれも罪とならないものとし、刑事訴訟法三三六条により、被告人に対し無罪の言渡しをする。
(裁判官 山中勇)